イベントレポート

緊縛女子-惠-10/30緊縛LIVEレポ

喜多征一緊縛LIVE


(モデル 奈美恵 撮影 けんのパパ様)

遅ればせながら喜多征一緊縛LIVEにご来場頂いた皆様、誠にありがとうございました。
前回の緊縛LIVEは今年6月に開催だったので、喜多によるSHIBARIGIRLSを使っての緊縛LIVEは久しぶりの開催でした。

今回もお客様は、緊縛を初めて見るという方や、あまりSMに精通のない方が、
STUDIO GLAMDY SHIBARIの活動に興味を持って下さり足を踏み入れてくれた方が多かったです。
そんな方々にこそ見ていただきたい緊縛LIVE。

まずはNAGOYA SHIBARI GIRLSの"やく"から始まりました。


彼女は私、惠がTwitterで偶然見つけ、なんて綺麗な子だろうと思いSHIBARIGIRLSをやってもらいたいと思ったのがキッカケでうちのモデルをやってくれることになった女性。それまで緊縛経験はゼロ。

"全て無になった感情を持たない死体”に憧れを持っている彼女は、
緊縛中まるで死人の様にぐったりと無になって体を預け、"無機質な物"に近づいていく。
完成したとき彼女は彫刻の様に綺麗でした。
緊縛とは受け手によって全く違うものができる瞬間瞬間の芸術なのだと思います。


続いてNAGOYA SHIBARI GIRLS"奈美恵"
彼女はSTUDIO GLAMDY SHIBARIの活動を始めたときからうちに来ているので、
緊縛をされることで自分の心の開放であったり、深く精神の奥に入り込んでいく様が見て取れたかと思います。

被虐性を自ら求めているようで、私が彼女の緊縛される姿を見て思うことは、

"可哀そうで可愛い" "愛おしい" ”抱きしめてあげたい”

どこかで「可愛い」という語源は「可哀そう」からきているというのを読んだことがあるのですが、その感覚にとても納得がいきました。


そして最後に私。
時分の事なので客観的に書くことはできませんね・・・
ひとつ主観的な意見を言うと、1部のショーと2部のショーとで縛り方はほぼ同じとはいえども全く最後は違う私として形に残っていたこと。

1つとして同じ縛りはないのです。
その時の心境、状況を切り取り形になり、そしてそれを留めておくわけにはいかないのでその形は消えてしまう、緊縛とはなんともはかない一瞬のアートなのだと思います。


終了後、みなさんに「今まで持っていた緊縛やSMのイメージとは全然違った」「こんなにも深い世界だったんだ」「こんなに芸術的で美しい世界だったんだ」等というお言葉を頂きとても嬉しく思います。

次回の開催が決まった際には是非一度足を踏み入れてくださいね。

STUDIO GLAMDY SHIBARI 惠


画像提供 クミ様 けんのパパ様 (C)Maki様 ありがとうございます。

キュレーター紹介

幼少の頃に映画で見てしまった ” 女性が追い詰められ首を絞められるシーン ” で 自分の中の性が目覚めるのを知ったとゆう惠。 思春期になり本屋で偶然に発見したトレヴァーブラウンの画集に描かれた 痛々しい姿の少女達の絵に衝撃を受けるが、 その痛々しい姿の少女達と自分を置き換えて作品を 見ている自分に気づき自分の M 性を感じたとゆう。

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