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緊縛シロウト理性解放実験記 [ 2 ]

最初の縄では、よく叫び、よく泣いた。「笑いと叫びはよく似ている」という、とある漫画の冒頭一文を思い出す。
二度目、三度目は縄痕に恍惚。四肢の自由を奪われる安堵の厚みが増した。

人間は、すべての瞬間、何かを選んで生きている。感受性が強く、傷つきやすく、内気な私が生きる術として纏った、逞しいほどよく考え、あらゆるこを言語化する力は、社会の中ではとても役立った。決断と実行を加速し、元来の受動的で弱い自分を、丸ごと何処かへ追いやってくれたのだから。
併し、縄に身体を預ける毎に、己が屠った本当の自分の輪郭がチラチラと見え隠れする。制限される悦び、受け容れざるを得ないことへの高揚、投げやりを許されているような錯覚。学校や会社なんかでは、自主・自立なんて言われてやってきた。だが、本当はそんなことどうだっていい。あるがままでいい。小さい頃からなんでも自分で考えろ、自分の力でなんとかしろと言われてきた私は、もしかしたら、隷属することに憧れていたのかもしれない。
いろんな感情が去来する。そして、頭で考えるばかりに傾き、感じることを閉ざしている自分自身に、ひどく疲れていることに気がついた。

身体はすでに縄に委ねたがっている。だけど、心の根っこは、まだそれを許せない。
年の分だけ感情や欲求を律してきた私の意識は、そんなパラドックスを披露した。
だから、四度目は視覚を覆い、もう一段、心を研ぎ澄ませることとなる。目隠しである。

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