自縄自縛と似たような四文字熟語で、無縄自縛という言葉があるそうです。
文字のとおり、ありもしない縄で自分自身を縛ってしまう…みたいな意味です。
皆さんは、自分で作った思い込みで自分自身を抑制してしまったり、
卑屈になってしまうことって、ありませんか?
若い頃は(今でも気持ちは若いつもりですが)私は自分のことが嫌いでした。
周りの人には「自分を好きになることが大切」と言われたけれど、
不細工でノロマで病弱でいじめられっ子で…、良いところなんて1つも見つからなかったし、
いつも生きづらいと感じていました。
今考えると、それは自分自身と向き合えて居なくて、卑屈になっていて、
人を好きになる方法を知らなかったからなのですが…。
学生の頃に2週間ほど、海外にホームステイをしたことがあります。
3日目の夕食後、ステイ先のお母さんに「黄華はとても恥ずかしがりね。
恥ずかしいとき、いつも目を覆って、そのあと擦るのよ」と笑われました。
その一言で、突然、注目された私は「そんなことないよ…」と言いながら、
無意識に右手で目を覆っていて家族全員に笑われました。
私は、その時まで自分にそんな癖があると知りませんでした。
他人の方が自分のことを知っていることってあるんですよね。
誰でも鏡の中の自分しか見えない。自分の目で自分の顔は見えないのです。
自分が思う自分の姿と、他人から見た自分の姿は必ずしも同じではないのです。
でも、どちらが間違えているというわけではなく、
見え方が違うだけで、更に言うと、全て思い込みだったりします。
私は23歳くらいまで、性的なことや欲望に正直になること、
少数派の意見などは悪いことなのだと思い込んでいました。
そして、他人からは、真面目そう、しっかりしてそう、身持ちが固そうと言われてきたので、
きっと、自分はそういう人間なのだと思っていました。でも、実際は違いました。
20代半ばになった頃「そもそも性的なことや、自分の欲望に正直になることや
少数派の意見は本当に悪いことなのか?」と疑問に思うことがありました。
そして考えて行き着いた結果「他人に迷惑をかけたり、法に触れないことであれば、
悪いことではないのでは?」という答えに至りました。
そうして、悪いことだという思い込みから解き放たれた今は、
真面目ではあるけれど、しっかりしていないし、
身持ちが固いとは決して言えない人間になりました。
それが良いことなのか、悪いことなのかは解りませんが、
あの頃に比べたら随分と生きることが楽になったし、
卑屈になることも減った気がします。
それはまるで解縛のときの開放感にも似ていて、
自縄自縛(無縄自縛)とは的確だな…と先人達の表現力に感嘆するばかりです
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