その他

出会い、そして、知り合うこと。

人は解らないもの、見たことのないものに対峙すると、
怖いとか気持ち悪いと感じることがあります。
それと同じように理解のできないことに対しても怖さや嫌悪感がある。

普段、理由がハッキリしないのに、なんとなく怖いとか気持ち悪いと
感じるものごとって、ちゃんと知らなかったり理解できてなかったり、
勝手な思い込みで食わず嫌いになっているみたいなことって、ありませんか?

反対に、よく知っているものごとや、理解できたり共感したりすることには

好意を持って接することができたりしませんか?
親近感は、どれだけ相手のことを知っているか?で
決まってくるのではないか?と私は思うのです。

 

喜多日曜道場で私と実際にお会いになったことがある方には
にわかには信じて貰えないかもしれませんが、実は私は人見知りなんです。
どのくらい人見知りかというと過去には初めて会った方と
共通の話題を見つけられず、
2時間無言で居たこともあるほどです。
そんな私ですが、初めて日曜道場に行った日、
2時間後には冗談を言って
初めてお会いする方々の中で笑いあうほどになっていました。

 

これは、言葉で会話しなくても、縄を通じてその場にいた人たちと
「知り合う」ことができたからなんじゃないかな?と思います。
誰だって初めて会った人のことを、すぐに信頼なんて出来ません。
しかし、縄会などで縛られるとき、受け手は初めて会った人にでも身体を預け、
初めて会った人たちに自分の内に秘めている部分を見られる可能性があります。
そのため、視線や表情で、触れ合う肌や鼓動や息遣いのリズムで、
相手のことを知ろうとするし想像もします。
そして、縛り手に自分のことを知ってもらおうとします。
(正直、縛られているときは周囲の人にまで気を回す余裕はないです)

 

個人的な感想ですが、私は縛られながら、縛り手さんと息を合わせるときに、
チャネリングってこういうことかな?って感じることがあります。
ですから、縛り手さんが背後にいたとしても、今は縛りの技術に集中しているな
とか、
自分の計画ばかりに気を取られているな
とか、他のことに意識が向いたなとか、
そして、勿論、受け手に意識が向いているときも、その気配で察知しています。

 

練習中の方に縛られているときには「今、この人は他のことに気を取られてるな
感じることがありますが、しばらくして、こちらに意識が戻ってきたと感じるとき、堪らなく嬉しいです。

本音を言えば、いつでも受け手に集中していてほしいなと思うけれど、
練習中の方の場合は、どうしても集中力が途切れる時間ができてしまうようです。
そんなとき、私は密かに片思いが両思いになる瞬間を疑似体験して楽しんでいます。
それに、私も気が反れてしまうこともありますしね。

 

自称、人見知りの私ですが、縄を通じて濃密な時間を過ごせた時は、
その日はじめて会った人とでも以前から知り合いだったみたいな錯覚を起こして、
その後は自然と人見知りモードが解除されるみたいです。
緊縛は日常で普通に出会うよりも随分と短い時間で、
いろんな人と深く「知り合う」ことができたり一体感を体験できる気がします。
それもまた、緊縛の魅力の一つなのかもしれませんね。

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