瘋癲ノ喜多サン

ポルノとエロス

エロいと男も女も言いますが、その意味合いは随分と違うのです。
男のエロとはポルノそのものでそのままセックスや性器を連想させるもので、女のエロは妄想的でその事柄から連想されるような事象で、その先に好きな人との戯れや、過去の素晴らしいセックスでの快感を連想したりする恋愛ファンタジーが基軸になっているのです。



なので「緊縛はやっぱりエロくなくっちゃ」といった場合でも、男は胸が出ているお尻が出てる、股縄がくいこんでいる、M字に開脚されて具が見えそうだ、着衣より下着より裸。っていうのがエロいということなのでしょう。女の場合は、この後この女性はどうなるのだろうか(妄想する)なんでこの女性は縛られてしまったのだろうか(妄想する)なんて切なく色っぽい表情なんだろうとっても綺麗でエロティックだわ、といったところでしょうか、このようにエロの視点観点がまるで違うのです。



「ねぇねぇ一緒にエロいことしよう」「いいね、しようしよう」となったところでもお互いが求めることが違うので、あれあれと若い頃は喧嘩になってしまうことが多いのです。ある程度歳を重ねると、女性の方に諦めが出てきて男のエロの子供っぽさに、はいはいそうですよねと寄せてきてくれるので、男は女も男と同じでエロいことを考えてると思い込むのです。これは女が男を喜ばせるために逝ったふりをするのと同じことですよね、ほらほらこの時点でも女の方が数段上なんですよ。ポルノばっかりにうつつをぬかしていると女に食い殺されてしまいますからご注意下さいね。



実は男に比べて、エロさは女性の方が数百倍エロいのです。妄想に妄想を重ねて超ド級のエロ大作のストーリーが出来あがってる上に、エクスタシーを知った女のオーガズムは想像を絶するほど強烈だから、快楽の期待値が大きい分女の方が断然エロいのです。(不幸にもいいセックスマスターに出会うこともなく味気のないポルノセックスしか知らない女性は残念ながらエロくありません。男以下のエロスで食気に走る傾向があります。手遅れになる前に喜多のセラピーを受けることをお勧めします。)ただ女はみんな女優ですから素知らぬ演技が上手い、ウブで貞淑な淑女を気取ってみたりするのです。男のエロは射精と共に急降下して今までのあの興奮はどこに行ってしまったのだろうかというくらい素面になってしまい、仕事や不倫の場合は家族のことを急に思い出したりしてそわそわするのです。



ならば射精をしないで男もずっとエロく女をねっとりと愛せばいいのです。射精は最後ですよ、プレイに入ってから5時間後ぐらいがいいでしょう。その間いつでも勃起が出来るようスタンバイしておきましょうね。女性は男が勃起をしていないと自分の体に魅力がないからだと落ち込みます。射精は早過ぎても遅過ぎてもダメ彼女の性感状態、心理状態を良き見極めて発射しましょう。女は難儀ですわがままで貪欲です、男のチンケなエロスでは太刀打ち出来ません。その分心底エクスタシィに陶酔しきっている女性の姿はなにものにも代えられないほど美しく神々しいです。生きているうちに一度でもいいから自分の心身で逝かせてしかと目に焼き付けたいものですね。



そこで緊縛の出番です。緊縛をすることで、相手の体と心の状態をいつも観察する癖がつきます。性感帯のポイントや感じている時の体の動き吐息、発汗、発色、どこをどう責めれば悦ぶのか、そして何より常に平常心で相手を気にしているので射精のコントロールが出来るようになります。万が一勃起不全に陥っても縄で責め続ければ女性は何度も逝きます。その心の余裕から必ず勃起は回復します。ただし射精するときは、今までの自制心を解除して心置きなく、自分の魂も解放して激しく発射しましょう。これぞ究極のギャップ萌えで、女性は私だけが知ってる激しいあなたときゅんきゅんすること間違えなしです。



喜多道場は厳しいです。その厳しさは女性の恐ろしさに匹敵します、厳しさを克服して喜多縄を習得したもののみが女性を綺麗に愛くるしくエロティックに出来のです。今すぐ下らないポルノグラフィな概念を捨てて本当のエロスを理解して、モテ男として残りの人生を楽しんでみてはいかがでしょうか


喜多征一

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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