瘋癲ノ喜多サン

現代版エマニエル夫人レポート

今回もとても素敵なメールをいただいたので、ご紹介させていただきます。
もちろん掲載することは、ご本人にも承諾をいただいています。
あまりのもいい文章ですので原文のままで、私はこの文章を読んだときエマニエル夫人の映画を思いだしました。
当時は、思春期をむかえる手前の性に興味津々の頃でしたから、真意もわからずただエロいおばさんの変態映画だと思いましたが、大人の女の性の解放の物語で官能美を表現した素晴らしいアート作品だったのです。まさにこの文章を書かれた女性と同じなのです。

女性が感じたままの最高の官能レポートです。
少しでも男性の性に対する考え方が変わってくれることを願っています。
この女性は、淫乱でも社会不適合者でもありません、バリバリ仕事もこなし母として妻としてしっかり責務を果たしている女性です。そして、緊縛に出会い生きる喜びを感じ、女性として人として大きく成長し始めているのです。この終わりのない旅、死ぬまで女、魅力的な人として生き続けてゆくのです。




喜多先生、明けましておめでとうございます

昨年は大変お世話になりました
本年もどうぞ宜しくお願い致します

時間が経ってしまいましたが
先日のセラピーと日曜道場参加のお礼も兼ねて、をメールにしました。

日曜道場に向かう所から感じた事をそのまま書いたので、相変わらず読みづらかったらごめんなさい。


■12月23日 日曜道場緊縛ライブにて

クリスマス前の日曜日の午後
私は冷静な気持ちを保って日曜道場に向かいました。

到着すると既にライブが始まっていて熱気で部屋は暑く、着いてすぐにコートを脱ぎました。

ライブを見始めて間もなく 「次が出番ですよ」 と声を掛けられ、まだ気持ちの準備も無いまま脱衣場に行き、着てきた服も脱ぎました。

それからすぐ私の番になり、扉を開けて日曜道場に参加の皆さんの間を通って先生の前に行きました。

下着だけで人前に出ていったときには、緊張で心拍数が最高潮に達し、恥ずかしさで顔から火が出そうで、最初は前を見ることが出来ませんでした。
先生の手が私の肩に置かれて、ゆっくりと呼吸を整えながら後ろ手に縄を掛けられた途端、私が私じゃなくなって
思考が飛びどびになりながら、ぼんやり考えられるのは

あぁ… 気持ちいい

それだけです。

痛いのか苦しいのかわからず、きつく縛られるほど私の求めてる所を刺激して
熱く敏感に感じてしまいました。

一度トリップしてしまうと
そこは私だけの世界で、さっきまでの視線や熱気も全く感じず
喜多先生の施す縄に身を預け、吊るされて体の重みに食い込む縄とバラ鞭の痛みの快感で思うまま感じまくってしまいました。
握られた手のひらに爪をたてられ、後ろから耳を噛まれて頭の中は真っ白になり
その時の記憶はほぼありません。

しばらくして気付いた時には、規則的に身体がヒクヒク痙攣していて、縄の跡の感触にとても幸せな気持ちに浸っていました。

翌日も身体中が敏感で
普通を装って日常を過ごしていながらも、ふとした瞬間に刺激が身体中を巡ってきて
まるで愛撫されてるような、じわっと熱い感覚に、一人でかなり感じてしまいました。

そんな私の事を一緒に行った彼は、声には出さずに「今、感じてるのわかってるよ」と見つめてきて
周りには何人も人がいるのに、その視線に反応してしまい我慢できませんでした…
でもその辛さも快感だったりして、どうしようもない状態でした。
もう、縄の無い人生は考えられなくなっています。

思い出すだけで今も感じてしまいます。

日曜道場に参加させていただきながら、私だけ写真をお断りしてごめんなさい。
でも、あの場にいた皆さんの視線は先生に縛られた縄と同じように私の身体の奥まで感じて、縄の跡が消えるまでその感覚は消えませんでした。

2018年は女としての悦びと、果てしない絶頂を知りとても実りある1年でした。  2019年はもっともっと感じまくる1年にしたいと思います。

とても寒いお正月になりそうですから、先生も風邪などひかぬよう、どうぞご自愛ください。

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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