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緊縛徒然 その2 「M女讃!・・・・M女のここが好き」

SM、主人、奴隷、M女・・・・この世界に永く居ても、どの言葉にもどうも馴染めません。

でも一応共通語なので、ここでは一般化した「私」と、例えば喜多道場に集うS系女性以外の方を「M女」とイメージして話します。とは言え、個人的にはまだよく存じ上げないので、こちらは経験上のM女と考えてください。

 

とにかく、私は理屈抜きにM女が好きです。

ひとことで言えば、彼女たちの人間性が好きなのですが、私の独断と偏見に基づいてもう少しブレークダウンしてみると・・・・

 

1.信頼できるところが、好き

M女はいつも自分と向き合っています。自分自身に問いかけ続けています。できないことはできないと言い、迷いは迷いとして表現します。嘘をつきません。それが、私の側から見て信頼に繋がるのです。もちろん私の方もM女に信頼されていなければなりません。相互に手を差し伸べられる、心の行き交う信頼関係を築くのには時間もかかります。

 

2.尊敬できるところが、好き

M女は自らのM性が満たされ始めると、日常の社会生活がきちんとした意欲的なものになっていきます。とにかく頑張ります。それがM性をますます際立たせる。そうした姿勢を私はリスペクトします。そして尊敬できるM女を縛りまた責めるのに一層の快感を覚えてしまうのです。

 

3.爪を磨いているのが、好き

反面、M女は恐ろしい。私の言動はいつも視られ評価されているし、縄から肌に伝えられるものもM女の感性によってシビアに量られています。不用意な言動には容赦なく切り込まれる場合もあるでしょう。爪はいつも研ぎ澄まされています。そしてもし複数のM女から、有言無言の十字砲火を浴びせられたなら、深傷を負う前に・・・・逃ゲルニ若カズ。

 

4.母性があるのが、好き

M女は、ひとの痛みを理解します。傷を負った心のつぶやきを聴くのを厭いません。秘められた母性により、本能的に庇護してやりたいと思うのかも知れません。そして、優しい言葉を返してくれる(こともある)。そうでなくても、縄に縊られた乳房に顔を埋めて、泣きたいような愛おしさを感じる一瞬があります。
 

つづく

 

キュレーター紹介

SMという言葉は好きではないが、この界隈には長く住んでいます。 「ドク」は医者ではなくPhDのことで、20年以上前から界隈ではそう呼ばれてきました。緊縛の刷り込みは幼少の頃、喜多玲子の挿絵に心をときめかせたことにあります。界隈から一生自由になれませんが、真のエクスタシーはその中にあることも分かっています。パートナーとはそれぞれ長いです。そして今は、皆さんと共に喜多道場でエロース(愛)の芸術を追求していきます。

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