緊縛を習う(宗教と緊縛)
宗教と緊縛。
片方には神や仏がいて、
片方には縄と裸の身体がある。
まったく別の世界に見える。
しかし、その奥にあるものは、案外よく似ている。
人は、ときどき自分であることに疲れる。
立派な人間でいなければならない。
期待に応えなければならない。
感情を抑え、弱さを隠し、
そんな、私という重たい荷物を、毎日背負って生きている。
宗教の前で、人は跪く。
自分の知恵や力だけではどうにもならないものがあると認め、
緊縛の中でも、人はよく似た場所へ降りていく。
腕を後ろへ回される。
身体を縄に預ける。
動く自由を手放し、隠す自由を失い、
すると、肩書きも、虚勢も、つくり上げてきた人格も、
最後に残るのは、呼吸し、震え、感じている、
剥き出しの一匹の生き物だ。
不思議なもの
人は自由を奪われたとき、初めて自由になることがある。
何もかも自分で決めなくていい。
強い人間を演じなくていい。
自分という面倒な存在を、ほんの少し忘れてもいい。
宗教が神に委ねよと言うなら、
縛は肉体を通して同じ問いを突きつける。
なぜ人は、降伏したいのか、支配されたいからではない。
自分という重荷から解放されたいからだ。
自我の境界がほどけ、自分よりも大きな何かへ溶けていく。
神がいるのかどうかは、知らない。
だが縄の中で、自分を忘れた女の顔に、
キュレーター紹介
コメント
この記事に対するコメントはまだありません






会員登録をすると
コメントを投稿する事ができます
ログインする 会員登録