瘋癲ノ喜多サン

緊縛を習う(支配)

なぜ男は支配したがるのか、男は縛りたがるのか、
そして、なぜ縛られたがる男も存在するのか、
それを単なる変態性欲で片付けることはできない。
人間の欲望はそれほど単純ではない。
人は、いつか死ぬ。
それを知っている唯一の生き物でもある。
死への恐怖は、権力への欲望となり、支配への欲望となり、
ときには服従への欲望となって現れる。
支配とは生の確認なんだ、
服従とは死の予行演習でもある。
自分を手放し、相手に委ねる行為の中に、人は不思議な安堵を見出す。
だから緊縛とは単なる性技ではない。
人間が抱える生と死の問題が、最も濃密な形で現れる舞台なんだ。
エロスとは快楽ではない。
死を知る者だけが持つ、生への執着なのである文明は洗練によって守られ、
野蛮によって更新される。
その両方があるから世界は前へ進むんだよ。









キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

会員登録をすると
コメントを投稿する事ができます

ログインする 会員登録

コメント

この記事に対するコメントはまだありません