瘋癲ノ喜多サン

極上の強い優しさで縛る

平成最後の師走いかがお過ごしですか?平成という時代を振り返って感慨深い気持ちになっています。
そして次なる元号の時代に、自分の人生の有終の美を、緊縛という日本が誇る文化 芸術と共に飾りたいと思っています。

緊縛マニアというのは結構存在します。多くの人が見て楽しむ人で、実際縛る人は稀ですね。例えば野球ファンでも試合を観戦して、監督の試合運びやキャッチャーの配球の組み立て、選手のゴシップなどを雄弁に語って楽しむ人もいれば、実際自分で草野球チームに所属してプレイをして楽しんでいる人もいます。後者は、あまりペナントレースなどには関心がなく野球をするということが好きな場合が多いですね。サッカーなど他のスポーツなどにおいても同じようなことが言えます。



緊縛鑑賞マニアのほとんどがポルノよりの緊縛が好きで 昔ながらの襦袢にふんどしおっぱいポロリ、うす暗い和室や納屋のような所で荒縄で縛られた拷問チックなものを好みます。そういった類のエロ本やストリップ劇場での緊縛ショーが情報ソースになるのです。実際、喜多道場で教えている緊縛とはまるで異なるので、そういった緊縛鑑賞マニアの人が教室に来るとがっかりして帰ります。最低1時間は本結びの練習で、受け手の体も触ることもできないのですから、ポルノ要素はなにもなく、まるで精神修業のような練習が続くのですから当然ですよね。



先ほど野球ファンを例にあげましたがこちらでも同じようなことが言えるのではないのでしょうか、野球観戦をするファンは観戦することで、精神修業になるようなことにはなりません。お酒を飲みながら大声で歌ったり騒いだりして一日のうさを晴らすのです。しかし、これが草野球でも選手として出場するのであれば、試合に勝つために日々練習をして、自分の心の弱さや雑さなどを自問自答しながら向き合って行くのです。ことは違えど全てにいえるのは、見る側は娯楽であり、プレイヤーは精神鍛錬、修業になるわけです。



緊縛の練習を積んでゆきますとあることに気がつくのです。本当の優しさとはなんだ、うわべのヘラヘラした優しさは時として痛みや不快な苦しみを与えます。緊縛はきつく縛る方が受け手の安全性を保てたり、安堵感や快感を与えることができるのに、「きつく縛ると受け手さんが大変なのではないのですか?」とはじめての人は必ず疑問に感じるのです。下手な人がうわべの優しさで緩く縛った縄ほど不安で見苦しく恐ろしいものはありません。基礎をしっかり身につけ喜多の縛りの理論を理解して、揺るぎない精神と志で縛ったきつい縄は、最高の抱擁であり優しさなのです。この縛りを取得するために、自分の弱さと雑さに向き合い、日々鍛錬した結果で受け手を縛るのですから、それは極上の強い優しさであるわけですよね。
鑑賞マニアは、娯楽であり 縛りマニアは、精神修業、鍛錬なのです。娯楽は自分へのご褒美であり、縛りは相手へのご褒美であり、自分への、強く優しい者になるべく人間形成なのです。



平成最後の師走ももう数時間で終わりますね、私にとっては激動の平成でした。平成元年に会社を作り、結婚をし、子供を授かり、我が師匠 名和征爾先生に出会い、この緊縛の世界に足を踏み入れ、離婚をし、25年続けてきた会社を倒産させ破産し、無一文になり、旧友の山本社長のご厚意と援助の元、縄師 縛り屋として再起をはかり現在に至った平成でした。仕事でいろんな国に行きました。行くたびに日本の良さ、日本人である誇り、喜びを感じ、より日本が好きになり、最後の日本文化、芸術ともいえる緊縛を世界に日本人である気概と共に紹介したいと思うようになったのです。来年は私の縛りの動画を世界に配信したと思い、今そのプロジェクトをある映像制作会社と進めています。随時ご報告しますので楽しみにしていてください。

今まで応援してくださった方々に、心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。
そして今後ともよろしくお願いいたします。

喜多征一

 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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