瘋癲ノ喜多サン

喜多征一物語(逝かせ縄修行)

先の縄は見るな意識するな、受け手に今当てる縄に集中して感じさせなさい。背後に座った瞬間から縛りははじまってる、受け手を酔わす間合い、空気を作るのです。手足を縛られた女は愛おしい、我が縄で逝きまくる女は美しい、すべてを解放しきった女は菩薩観音のようです。優しく温かい縄でほぐし、きつく抱擁する縄で安心させ、鋭く縛りあげて逝かし、とき縄で快感を蘇らせ、強く抱きよせる。最高の快楽を受け手に与えるのです。と先生の教えられました。



夜遊びもせず仕事の合間にも、時間があれば先生の道場に足を運びました。いつも誰かがおいでになっていて、ある時はご婦人が、イケメン老人が、老婆がハゲ爺さんがと基本平均年齢は高く華やいだ感じはまるでない道場は、私が仕事をしたり遊んだりする場所とはまるで違いおもしろかったのです。先生がご婦人を縛るところを部屋の片隅でくいるように見、先生の所作、縄さばき、縄まわし、女性への体の触れ方を勉強しました。それは男の私が見ても美しく色気があり、そしてなにより男らしかったのです。暇なときにでも教えてあげるといっておきながら、まるで手ほどきもしてもらえず半年ほどが経ちました。



そんな時です、遊びにみえていた多分他の男娼縄師の方で先生の弟弟子にあたる尭(あき)さんから、基本になる縛りを教えて頂けました。「君はのみ込みが早いし手先が器用だし、なかなか色気のある男だね」といわれ少し有頂天になって「はい先生の縛りを見させて頂きましてイメージトレーニングは完璧ですから」と軽率にも調子よく返答をしましたら、「根本的なところがダメですね、縄師には向ていません」といわれ困惑しまして、「どこが駄目なのでしょうか」尋ねましたら厳しい眼差しで「何を持って完璧なのですか、おごり、過信、自信は縛りには不必要です。平常心、冷静、観察力なのですよ」ただただうなだれて「申し訳ありませんでした。以後今のお言葉を胸に刻みまして精進させていただきます。ありがとうございました」と畳に頭をつけてお礼を申し上げていましたら後ろから「尭(あき)さん、うちの可愛いお弟子をそんなにいじめんでくれよ」と先生が笑いながら近づいておいでになって「なぁ兄ちゃんこの爺さんは口うるさいやろ、私はなんにもいわんからな全部自分で感じて考えなさい。そして一番の先生は受け手やで、その人の意見にしっかり耳をかたむけるんや、どうすると気持ちよくてどうすると不快か、気持ちいい痛みもあれば、気持ちいい苦しさもある。気持ちいいことだけすればええんやで」これだ、気持ちいことだけをしてあげられる人間になる。これが私の目標になったのでした。それと先生の可愛いお弟子という言葉、とても嬉しかったです。



その後、先生は知り合いの女性が遊びにみえると、「うちのお弟子さんに縛らせてあげてくれんか」といっていただき ちょくちょく教えて下さいました。上手いとも下手ともいわず、「そりゃ気持ちいいで、そりゃ痛いだけや」ほとんどこればっかりでしたがとても分かりやすく心と体にどんどん入って行きました。

つづく

前の話を読む【喜多征一物語 男娼縄師】

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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