シバリガールズ

幸福

皆様お久しぶりです。

千萬子です。

あの、文学だの哲学だのを齧っているらしい小娘です

もうお忘れの方も多いかと存じますが、また覚え直していただけると幸いです


さて、千萬子は8月に20歳になりました。

あ、ご安心ください、誕生日プレゼントはまだまだ受付中ですので…

郵送の方は近所の公園の住所でもお教えします

ポストに投函して2日後くらいにそちらまでお越し下さい

いそいそと公園で配達を待つ私の姿が見られます

と、まあ冗談はここまでにして…

と言いたいんですが徹頭徹尾冗談のような私の書き物ですから、どこまでも気楽に読んでください。

そうじゃなくては困ります。ねぇ?

はい、そう、とにかく千萬子は20歳になったのです。

20歳になるということは、「大人」になるということです

つまり、これまでのように「少女」という閉じられた世界の免罪符を堂々と掲げることができなくなるということです

なんて恐ろしいことでしょう

もちろん、私は一生少女という自負を持っているわけですから、私がそれを捨てない限り永久に私は少女です

ただ、「世間様」というものに対して「大人」になった風を装う必要があるというだけです 

その方が生きやすいですからね

何も苦痛を苦痛として噛み締めることが偉いわけではないと、「大人」というものを装うにあたって、
思いました

もちろん、「自分は偉い人間だ。素晴らしい。」と思い込むための材料として、苦痛がどうしても必要ならば大いに使っていくべきだとは思いますが

ただ、それもまた「生きやすさ」のためだということを簡単に了承しておく必要があるかとは思います。

生きやすいからといって死んではいけないなんてことではないので、それによって幸せに死んでいけるならそれもそれで良いことなのです 

少なくとも、私はそう思います。

何はともあれ、「生きやすさ」の模索が必要です

私にとって、あなたにとっての「生きやすい状態」を模索することが今一番大切なことなのです

まず、「幸福」を定義するところから始めましょう。

生きやすさとは幸福の廉価版のようなものです

そして、幸福の定義は人の数だけ存在します

私にとっての幸福の定義は、

「自分を美しいと思うこと」

ですし、瞬間瞬間に騙されながら生きることを幸福な人生と呼んでいます

でもこれはあくまで私の話

偉い哲学者の先生方も普遍的な幸福の定義付けのために奮闘してこられたようですが、主観中の主観を固定化するなんて土台無理な話なのです

というわけで、私はここでこれを読んでくださっている皆様にひとつ、宿題を差し上げます

その宿題の内容は…言うのも野暮ですから察してください

いつか答え合わせをしましょう

それではごきげんよう、また会う日まで










 

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