瘋癲ノ喜多サン

オートクチュールとプレタポルテと緊縛

オートクチュールは高級仕立服を意味し、顧客から注文を受けた服を針子が手作業で製作し、完成した服を注文した顧客に提供する流れになります。 一方で、プレタポルテは特定の顧客に対して作るのではなく、決められたサイズに基づいてアパレルメーカーが大衆向けに生産し、小売産業が販売する流れになります。
フランスならではのうんちくはもっとあるのですが、ここではざっくりこんな感じで捉えてこの後の文を読んでみてください。

    

もうご存知かと思いますが、私は緊縛師をする前は25年もファッションデザイナーをしていました。売上至上主義のプレタポルテ(既製服)や味気ないファストファションの襲来で、服を作る楽しみも喜びも意味すら失っていたのです。ではなぜ緊縛師に姿を変えたのかと言いますと、緊縛は究極のオートクチュールだからなのです。布も糸もいらない、パターンも裁断も必要としないで、6mmの麻縄だけで女性を美しく彩って行くのです。そして、その姿はなにもにも代え難く妖艶で哀愁を感じさせる美をかもし出します。そのうえ、儚くも完成して20分もしないで、解かなければならないのです。(受け手の体に負担がかかるからです)まるで桜の花のように短い悦なのです。その縛りは、その瞬間のその人だけにほどこされた縛りなので、二度と同じ縛りはできません。



私の場合は、いろいろな色に染め縄を使います。受け手の肌や髪の色、着けている下着や衣服それらによって使う縄の色を変えます。どうでしょうか、こんなに素晴らしい衣(ころも)はありません。デザイナー(緊縛師)がその人もその一瞬の心の具合を感じ取りその人のためだけに縛るり彩りなのです。まさにこれぞ究極のオートクチュールなのです。



このような想いで縛っているので、逝かせ縄ライブの時もモデルとはなんの打ち合わせもしません、ましてや事前に練習をすることもありません。当日の衣装も聞きませんし、指定もしません。ステージに上がってきたモデルを見てその心の具合を探り縛り始めるのです。まるでフリージャズのセッションのように、モデルと心で対話をしながら、ある時には激しく責め、ある時には優しく抱きしめながらモデルの肉体と精神と性を解放させてゆくのです。美しく縛りあげられ責められ、その縄が解かれ逝かされるモデル達。世間という現実から解放された女体の美しさ、穏やかで透き通るように神々しい表情。これぞエロス...



私にとっての逝かせ縄ライブは、コレクション(ファッションショー)であり、モデル達はケイト・モスやナオミ・キャンベルのようなスーパーモデルなのです。
一度観てください。美しく縛られ、解放されて天女になった女たちを
緊縛は日本固有の文化であり、最高の芸術なのです。















 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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