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縛り手との語らい 【akeさん編】

五反田道場で、縄の受け手をする日だった。

akeさんがいたので、喜多先生の指導の補佐をするのかな?と思ったら、今夜は縛り手として来たという。1ヶ月ほど縛っていなかったから緩んじゃうかも、と、少しだけ緊張しているようにみえた。

縛られてみると、一縄一縄がきもちいい。

その最中は無言になるが、いつもはまわりの会話が耳に入る余裕がある。けれど、akeさんに身をゆだねているあいだ、わたしは確かに世界との境界線がぼやけて、内側からわき起こる快楽でトリップしていた。


「あっ、やっぱり緩んじゃった」

akeさんの声で我にかえるが、こんなにきもちいいのにまだ完成形ではないのかと心がふるえた。喜多先生も「今のはよくないな」と頷いている。じぶんの落ち度に気づき、なぜそうなったのかを瞬時に自問自答し「やり直しますね」と潔く縄をほどいていった。

akeさんは、ご自身も受け手となり緊縛教室の生徒さんに縛られている。そして『逝かせ縄LIVE』では喜多先生の本気を浴びている。こうされるときもちいいのよ、でも、こういうのは絶対イヤ。と、はっきりしている。

喜多先生が言う。「俺の縄は、きもちよくなることだけを20年考え続けたものだからな」と。


そうなのだ。喜多征一さんが教える『逝かせ縄』とは、ほんとうに、受け手をみている。縛り手が満足するとしたら、受け手が快楽や解放をしっかりとかんじられたときだけだろう。道場に通っていると、そのことを痛感する。

先生に「まだまだだな」と言われても、「先が長いほうがたのしいですよ」と学びの姿勢を崩さないakeさん。なんていうか、喜多道場で受け手をしているとこういったやりとりもすごく素敵だなっておもう。


ああーっ、次に来る日が待ち遠しい!
 

キュレーター紹介

五反田道場の縄受け手。猥談バーの民。なんでもありなフェチフェスのBlogでライターをしています。

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