瘋癲ノ喜多サン

完全に満足の幻想と結びついた欲求

人間は常に何かを求めている。
空腹を満たすための食事、寒さをしのぐための衣服、愛や承認を求める心。
これらの欲求は、生や社会的なつながりを維持するために欠かせない。
しかし、現代社会において、私たちの欲求は単なる生を超え、
もっと複雑で抽象的なものへと変化してきた。
スマートフォン、名声、完璧なライフスタイル
これらは「完全に満足」という幻想を追い求める現代人の姿を象徴している。
「完全に満足」という状態は、どれだけ近づいても、決して手に入らない。
SNSで「いいね」を集めても、もっと多くの承認を求めてしまう。
このように、私たちの欲求は満足の幻想と結びつき、果てしないループを生み出す。
手に入れた瞬間、その「完璧さ」は色褪せ、次の欲求が顔を出す。
この繰り返しは、私たちに一時的な充足感を与える一方で、深い満足感からは遠ざける。
しかし、この幻想に囚われ続けることは、果たして幸福への道なのだろうか。
完全に満足するという状態は、実は存在しないのかもしれない。
仏教の教えには、「一切皆苦」という言葉がある。
全ては変化し、完全な満足は一時的なものに過ぎないという考えだ。
欲求そのものを否定するのではなく、欲求とどう向き合うかが重要になる。
欲求を認めつつも、それに振り回されない心の余裕を持つこと。
それが、幻想のループから抜け出す鍵かもしれない。

結局のところ、「完全に満足の幻想と結びついた欲求」は、
私たちが人間である以上、避けられないものだ。
しかし、その幻想に気づき、欲求と適切な距離を取ることができれば、
私たちはもっと自由に、もっと軽やかに生きられるだろう。
完全な満足はなくても、十分に満たされた瞬間は確かに存在する。
それを見逃さず、大切にすること
それは緊縛の精神性そのものなのだろう。












写真:愚鯉夢さん

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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