瘋癲ノ喜多サン

熟年恋愛論/情熱なき美のかたち

もっと美を感じようとした。
若さではなく、美しさの本質を。
外見ではなく、空気のような佇まい、
静けさの中にある陰影、沈黙に宿る優しさ。

その先で気づいたことがある。
情熱的恋愛とは、もうすでに決別していたのだ。

もちろんまだ恋心はある
しかし熟年恋愛というものが、
若さのそれとはまるで違うのだ。

若い頃の恋愛には、常に性が絡んでいた。
欲望と葛藤が火花のようにぶつかり合い、
言葉よりも触れあいが真実を語った。
時に汗臭く、埃っぽく、息苦しいほどに生々しい関係。
その危うさこそが情熱の正体だった。
壊れやすいからこそ、美しかった。

だが歳を重ねると、そうした“激しさ”は徐々に影を潜めていく。
そして、代わりに現れてくるのは穏やかさだ。
それは、どこか諦めにも似ている。
もはや恋愛は人生を狂わせるものではなく、整えるものになっていく。

だからこそ、そこに美を感じようとするのだろう。
求めるのは、触れたい衝動ではなく、隣で微笑んでいて欲しいと願い。
嫉妬や独占ではなく、共有と静けさ。
若い恋は、燃え上がっては消える。
熟年の恋は、灯のように静かにともり続ける。

それが情熱を失った姿なのか、
美の極みにたどり着いた結果なのかはわからない。

ただ一つ言えるのは、
それは、恋というより、祈りに近いものなのだろう。

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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