瘋癲ノ喜多サン

性愛(渇き)



意味を剥ぎ取られた性愛は、
むき出しの欲望として街に溢れた。
身体は簡単に結ばれ、快楽は商品になり、
誰もが好きなように求め合えるようになった。
だが、その果てに待っていたのは解放ではなく、
乾きだった。

どれだけ激しく抱き合っても足りない。
どれだけ多くの身体を渡り歩いても埋まらない。
快楽は一瞬燃え上がり、
灰だけを残して消えていく。

人は欲望を手に入れた。
だが、生きる理由までは手に入れられなかった。

現代人を蝕む孤独とは、
性愛の自由が生み出した巨大な空洞なのかもしれない。

だから人は再び愛を探し始める。
それは懐古ではない。
純愛への後退でもない。
家庭や制度への逃走でもない。

もっと根源的で、
もっと暴力的な渇望だ。

自分という殻を突き破り、誰かと一つになりたい。
ただ触れたいのではない。
ただ所有したいのでもない。
存在そのものをぶつけ合い、傷つきながら、
それでも誰かと繋がりたい。

そんな飢えが、欲望の底でうごめいている。



 


 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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