瘋癲ノ喜多サン

性愛(熱)

恋愛とは、誰かに染められることではない。
誰かの価値観を借りて生きることでもない。
人は、愛によって変わるのではない。
自ら愛するという行為によって、自分を変えていくのである。

情熱も快楽も、誰かから与えられる贈り物ではない。
それは肉体の奥底で、太古から眠り続けていた獣の息遣いだ。
熱く湿った舌先で、静かに目を覚ますもの。

愛されたいという願いは、まだ幼い。
本当に成熟した人間は、愛することを恐れない。
愛するとは、相手を所有することではない。
自分という境界を壊し、相手という深い闇へ、一歩ずつ降りていくことである。
その闇には歓びがあり、嫉妬があり、羞恥があり、陶酔がある。
そして、ときに小さな死― la petite mort のように、理性は静かに息絶える。

その瞬間、人は社会が与えた名前や肩書きを失う。
善人でも悪人でもない。
男でも女でもない。
ただ、欲望という宇宙を漂う、一つの生命になる。
汗に濡れた皮膚が触れ合い、息が混ざり、内部が熱く脈打つ。
深く人を愛した者ほど、もう昨日までの自分には戻れない。

快楽とは快適さではない。
愛とは安心ではない。
それは、自分という殻を溶かし尽くし、その熱の中から新しい生命を立ち上がらせる、美しくも危険な熱なのである。
その熱は、ときに指先から腿の内側を這い、喉の奥で低く唸り、すべてを溶かしてしまう。

 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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