瘋癲ノ喜多サン

性愛(温もり)

人は皆、孤独だ。
どれほど強がってみせても、
どれほど理性的に生きようとしても、
その奥には誰にも触れられていない暗い場所がある。

身体はそのことを知っている。
頭は忘れようとするが、身体は忘れない。
誰かに見つめられたことも。
誰かに抱きしめられたことも。
夜の深い闇の中で、
自分がたった一人であることに気づいた瞬間も。

人間の身体は最初から愛する人へ向かっている。
身体との境界を教えてくれる温もりを探して、
それは善悪の話ではない。

だから愛は美しいなどという綺麗事だけでは済まされない。
愛には欲望が混じる。
執着が混じる。
嫉妬も混じる。
相手を自分の思い通りにしたいという醜さも混じる。

だが、それでいいのだ。
人間とは元々そういう生き物なのだから。
清らかな愛だけを語る人間ほど、自分の欲望を見ていない。
本当に誰かを愛したことのある人間は知っている。
愛とは時に理性を壊し、
自尊心を傷つけ、
惨めなほど相手を求めさせるものだということを。

それでも人は愛する。
なぜか。
一人で生きるには、
人間の身体はあまりにも寂しくできているからだ。
体温を知った身体は体温を忘れない。
優しさを知った身体は優しさを忘れない。
そして一度でも深く心を揺さぶられた人間は、
その記憶を抱えたまま生きていく。

愛とは救いではない。
むしろ厄介なものだ。
孤独を消してくれるわけでもない。
不安をなくしてくれるわけでもない。
それでも人は誰かを求める。
傷つくと分かっていても手を伸ばす。
拒絶されるかもしれないのに心を開く。
その愚かさこそが人間なのだと思う。

理性ではなく、欲望でもなく、
その二つの間で揺れ続けること。
その危うい均衡の中にこそ、
人が人を愛する理由がある。
愛とは美談ではない。
もっと生々しく
もっと切実で、
もっと抗い難いものなのである。

モデル:凛月
写真:なおこ


 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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