瘋癲ノ喜多サン

YELLOW

たとえば黄色だ。

信号機の黄色でもいい。
ひまわりの黄色でもいい。
子どもが描く太陽の黄色でもいい。

だが考えてみると不思議な話だ。

黄色は単独で存在しているようでいて、
実は赤と緑のあいだから生まれてくる。
人間の目と脳が勝手にそう解釈しているだけだとも言える。

そこにあるのは光なのか。
脳の勘違いなのか。
それとも我々が便利だから黄色と呼んでいるだけなのか。

われわれ人間は実にたやすくだまされる。

目で見たものを真実だと思い込み、
耳で聞いたことを事実だと思い込み、
みんなが言っているから正しいのだと信じる。

思い込みとは恐ろしいものだ。

しかも本人はだまされていることに気づかない。

自分だけは冷静だと思っている者ほど、
案外深く思い込みの沼にはまっている。

だまされていることに気づかなければ、
それはそれで幸せかもしれない。

世界はわかりやすいし、
悩む必要もない。

だが一度でも疑問を持ってしまうと話は別だ。

なぜそうなのか。
本当にそうなのか。

そんな問いが頭の中に住みつく。

その瞬間から、
普通だと思っていたものが急に奇妙に見え始める。

異常が正常になり、
正常が異常になる。

多数派が正義とは限らず、
少数派が間違いとも限らない。

常識は時代によって変わるし、
正義も立場によって姿を変える。

昨日まで笑われていた人間が、
明日には時代の先頭を歩いていることだってある。

だから黄色よ。

おまえを見るたびに考えてしまうんだ。

見えているものは本当に見えているのか。
信じているものは本当に信じる価値があるのか。

もしおまえが本当にそこにいるのなら、
もしおまえがただの勘違いではないのなら、

世界の見え方に少し疲れた夜には、
おまえのとなりで黙って座っていたいものだ。



 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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