瘋癲ノ喜多サン

性愛(老い)

八十歳を過ぎた女の身体に、性愛はあるのだろうか。

弾力のある乳房。
張りのある尻。
滑らかな皮膚。

性愛をそんなものだけで語るなら、
老いた身体は性的な世界から退場させられることになる。
だが、それは男が勝手につくった、ずいぶん都合のよい物語である。

垂れた乳房。
柔らかくなった腹。
深く刻まれた皺。
手術の傷痕。
染みや黒子の浮かぶ皮膚。

そこには、若い身体にはまだない時間がある。
誰かを愛した時間。
誰かに触れられた記憶。
子を抱いた温もり。
欲望に身を焦がした夜。
そして誰にも触れられず、
自分の身体を持て余した長い孤独。
そのすべてが、皮膚の上に残されている。



若い肉体のエロスは、
これから何かが始まる予感に満ちている。
老いた肉体のエロスは違う。
触れられる歓びも、
愛が終わる痛みも、
欲望が人を美しくも醜くもすることも知っている。
それでもなお、誰かの手を求める。
そこにあるのは、若さを失った身体ではない。
長い時間を生き抜いても、
まだ感じようとしている身体である。
なんと貪欲でエロチックなんだろう。



人は老いた女を見ると、
母親や祖母という役割の中へ閉じ込めようとする。
優しく、穏やかで、性などとっくに忘れた存在であってほしいのだろう。
だが、女は母親になる前から女だった。
祖母になったあとも女である。
乳房は子どものためだけにあるのではない。
唇は食べるためだけにあるのではない。
皮膚は生命を包むだけの袋ではない。

触れられれば感じる。
抱かれれば温かい。
欲望すれば濡れる。
それを恥ずかしいことにしたのは、老いではない。
老いた人間から性愛を取り上げようとする社会のほうだ。
若さは、性愛の条件ではない。
美しいかどうかも、どうでもいい。
その身体に体温があり、
記憶があり、
誰かを求める震えがあるなら、
性愛はまだそこにいる。

女は老いても、女をやめない。
エロスは若さの所有物ではない。
皺の奥にも、
傷痕の下にも、
静かに息をしている。
死ぬその日まで、
人間は欲望する生き物なんだよ。


 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。
詳しいプロフィールはこちら:https://smluxury.jp/profile/

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