瘋癲ノ喜多サン

メンヘラ女子はM女ではない


メンヘラ女子はM女ではないし、ポルノはエロスではない。
SMは暴力ではないし、緊縛は遊びではない。

M女は不安定な精神で日常を送っている人ではなく、日々まっとうな社会人として世間に貢献するために心と魂をすり減らしている人なのです。その心の乖離をプレイで埋め合わせて、ひと時の解放でリフレッシュさせてまた明日から厳しい現実の世界で切磋琢磨するがんばり屋さんのことなのです。日頃から情緒不安定で自分に不利益を与えるものは全て煩わしい敵で、慢性的な心と体の不調を誰かのせいにするのがメンヘラ女子なのです。万が一プレイを試みても格好だけのなんちゃってMで、痛い怖いと自分の心の中は常に自分だけで、完全にロックをかけてしまい解放どころの話ではなく、より自分大切自分大好きの小部屋に入り込み、私を解放させることができないのはあなたのせいよなどと思うのです。



そこに魂が震えるような美しさや、心をわしづかみにされるような感動がともなわい性描写やプレイはエロスではなくポルノなのです。死生観であったり、死をも覚悟できるようなプレイ、死の匂いが立ち込めるような肉体と魂の絡み合いそれこそがエロスでありアートとして表現されるべき営みなのです。パイズリだ潮吹きだ電マだバイブだデカチンだなんてものは全部ゲスなポルノなんですよね。緊縛された女性にバイブは必要ないでしょう、いい縛りをすればそれだけで気持ちがいいのですから、そんな写真に興奮する人は本当の緊縛マニアではありませんね、ただのポルノ好きで、拘束された女を自分のイチモツではない電動道具を使って、身動きの出来ない女を責める。実は女性に恐怖や嫌悪を抱き、卑怯な手段で自分の性欲を果たそうとする人なのです。



(3枚の写真をご覧下さい)相手を失神させるために首を絞めているわけではないのです。縛られたあと朦朧としている意識の中、より深く快楽の渦の中にひきずりこむために首を絞めています。気道はしっかり確保して脳への血液の流れをコントロールして、大きな手のひらで抱擁するよう緩く締め上げたり、耳の軟骨や頭皮に爪を立てたりしながら、いろんな刺激で優しく強く心を込めて相手と同調しながら責めて行きます。昨日今日SMに目覚めた若者にはなかなか難しい塩梅です。鞭にしても蝋燭してももちろん縄にしても相手を痛めつけるためにしてはいけません。愛情を持って、辛い気持ちで日常を過ごしている人を心底解放させるために、全ての神経を集中して責めるのです。SMは暴力であってはいけません。



軽い気持ちで緊縛を習いに来る人も多いのですが、緊縛は遊びではないのです。遊びでパートナーと緊縛をしたいなら、SMショップで拘束具を買うことをお勧めします。麻縄で締め上げて吊るなんておそろしいことを考えないで下さい、大なり小なり必ず大切な人の体を痛めます。緊縛は縛り手の精神修行なのです、いかなる時も平常心で焦らずどっしりと構えて、なにごとが起きようが最善の策を講じて大切な人を守り、解放させ流のです。これぞ日本男児といわんばかりに。そんな気持ちで縄と向き合うからカッコいいのです、女性にモテるのです。男なら誰でも女性にモテたい、ならば鍛錬して己の精神を強固なものにして大切な女を守り解放出来るようなりましょう。あなたが本気でそうなりたいと思うなら必ずなれます。喜多道場を訪ねて下さい、縄を通して丁寧に厳しく美しい男のあり方をお教えします。


喜多征一

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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