瘋癲ノ喜多サン

非日常の世界で戯れる

この暑い中仕事終わりにレッスンに来てくれる生徒さんには、本当に頭が下がります。私などは、一日中エアコンの効いた部屋にいて出勤もないので食事をしに行ったり買い物に行く時にだけ外に出るような生活をしていますから暑さ寒さも関係なく過ごしているわけです、なのにいつも偉そうにしてごめんなさい。ただ生徒のみなさんは道場に来るのを楽しみにしていて、日常から解放されに来るからこれがないと明日頑張れませんとか言ってくれます。中には私に怒られることやいじめられることを楽しみに来る稀有な人もいます。ありがたいことです。



人生は辛いものです。学校での勉強が終わったと思ったら社会で理不尽極まりない男社会に揉まれ、会社のいいなりになれば自分ってものはないのかと罵られ、会社や上司にたてつけば立場や給料が危うくなり女房子供に迷惑がかかる、ここは一番父ちゃん歯を食いしばって自分を押し殺す。女性は女性で華の独身時代はちやほやされるが、結婚して出産をすればお母さんになり旦那の女房で、価値観も合わないママ友とも子供のためにそれなりに仲良くしなきゃいけないし、近所のこうるさいババァやつまらないセクハラまがいのオヤジギャグの爺さんに愛想笑いをして、あの可憐な私はどこに行ってしまったのかしら、などと男も女もこんな人生になるはずじゃなかったと嘆く。日常とはこんなもので子供を育て家庭を守るために本来の自分を押し殺して生きるのが大人の勤めなのです。



人生の試練を乗り越えるためにの貴重な道具として愛やセックスやSMはあるのです。非日常の中に身を委ね没頭して日常のストレスを発散してまた明日がんばるのです。情事とは、現実から離れた恋愛の中で戯れること、大人だって甘えたい泣きたい包まれたい、それをとことん追求した先にSMがあります。SMは道具を使わなくても痛みを与えなくてもいいのです。セックスの延長にあったり、セラピー的であったり、妄想の世界で戯曲的であったりしていいのです。痛みや汚いSMは、あの融通うの効かない男社会が作ったポルノグラフィなのです。SMとはロマンチックで心の主従関係の元に成立する恋愛です。そら奴隷だご主人様だ暴力だ調教だなんて言うSMはもう古い、情報のない時代に男が都合のいいように作り上げたポルノなのですよ。



性的欲望は淫らなことではありません。淫らなものと位置づけて男の性的興奮をあおって金儲けをするために、芸術的な性的欲望のエロスをポルノグラフィに仕立てた男どもの洗脳なのです。性的欲望を抱くこととは、誰かに気にかけてもらう欠乏感にあえいで肉体的解放と精神の癒しと性の慰めを求めること、そう現実の社会で疲れ果てた大人の男と女が非日常の世界で戯れることを想い抱くことなのです。みなさん、家庭も大事、仕事も大事、でも自分はもっと大事ですよ、なんのために生まれて来たのですか、苦しい辛いと嘆くために生まれて来たのではありません、快楽に身を委ねて快感酔いしれるために生まれて来たのですよ、もう我慢しなくてもいいのです。非日常の世界で自分を解放してあげて下さい。

喜多征一

*写真撮影 ミキさん

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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