その他

緊縛セラピーってどんなもの?

「緊縛セラピーって、どう?」
たまに聞かれます。

縄師が「隠れたナニカ」を引き出すキラキラタイムではないことは確かです。
求めないからだに対して、縄はただの縄、
誰かを壊すことも酔わせることもできない。
二時間、1万円払って、ただぐるぐる巻きにされて終わっちゃうかも。
素直になりたいけど、なれない・・・
ドS男子に強引に抱きしめて素直にしてほしい。
うふ、少女漫画のお花畑脳ですね。

わたしも普段は素直になんかなれない可愛げのない女です。
依存心も執着心も嫉妬もひといちばい、
女ひとりでやってかなくちゃいけないから肩肘はって
強がって強がって、
男に素直にしてほしいとウジウジ夢見るクソババア。
強がり女には、もっと強くならざるを得ない甘ったれ男がセットですからね、
意固地になるばかり。

ただ、わたしは縄の前で徹底的に無になってしまう癖があります。
男の前じゃ外せない自意識がすべてなくなってしまう。
手首に縄をかけられた時からあんあん悶えていますが
喜多先生に性欲を煽られているのではありません。
わたしという人間の本質が「快楽」を求めているからです。
「芸術性」を求めるかたも、「静かな抱擁」を望むかたもいるでしょう。
求めるものはそれぞれ、セラピーもそのひとそれぞれだと思うのです。

今日のセラピーでは、蛙のような泣き声がでました。
可愛くも、色っぽくもない、げえげえ唸るような絞り出した涙です。
甘えたことなんかないクソババアは泣き方も知らないでやんの。

泣いていいよ、とじぶんが赦すから縄が泣かせてくれる。
感じていいよ、とじぶんが許すから縄が逝かせてくれる。
自分を愛していいよ、
自分として生きていいよ、とゆるすから
縄が、劣等感にまみれたわたしを生かしてくれる。
こんなに醜くて美しい快感を他に知りません。
緊縛に出会わなければ、蛙みたいに泣くこともなく、
一生強がるブスだったことでしょう。


撮影やライブと違い、セラピー時、縄師の存在は徹底的に無です。
無は変幻自在です。なんにでもなってくれる。
言葉にしなくても、心から求めれば掬い取ってくれます。
怖がって、恥ずかしがって、隠していたらきっとそのまま。

わたしにとって緊縛セラピーは自分の存在を全肯定する時間です。
お金という対価をプロに支払って、
自分の欲望を具現化し、自分を愛する2時間。
資本主義と愛、みごとなコラボレーション。ふふ。

自分の欲望を見つめる覚悟、できてますか?^^







 

会員登録をすると
コメントを投稿する事ができます

ログインする 会員登録

コメント

この記事に対するコメントはまだありません