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映画『愛うつつ』- 愛とSEXの形をめぐる人間ドラマ -

映画『愛うつつ』(葉名恒星 監督)を観た。

この作品に、緊縛シーンは出てこない。けれど、人が人を愛するときに「普通」や「正解」や「人並み」なんてあるのだろうか? と、考えさせられる点において、BDSMについて考えるSMluxuryで取り上げても不自然ではない物語ではないかとおもった。
 
 
◾️あらすじ転載(映画『愛うつつ』公式サイトより)
人材会社の営業職を勤める新⽥純と⼤学⽣の白井結衣は、付き合って7ヶ月のカップル。二人は仲睦まじい関係であったが、純は結衣を抱けずにいた。“愛しているからこそ抱けない”純と、“愛しているからこそ抱かれたい”結衣。⼆⼈の愛の形の違いは、結衣が、「純の秘密」を知ったことをきっかけに対⽴する。
 
 
セックスシーンの描かれない作品に見えるかもしれないが、むしろしっかり登場する。それがなくては愛が成立しないよね? 愛があれば抱くものだよね? と、訴えるような描写もある。しかし、果たしてそうだろうか。そうじゃない人間もいるのだ、という事実をなぞるのが本作の見どころだとおもう。

BDSM(Bondage & Discipline またはDomination & Submission & Manipulation)という嗜虐的性向も、相手によっては理解されなかったり、受け入れられなかったり、嫌悪感を抱かれることさえある。ただ、誰とも分かり合えないと悲観するような状態ではないはずだ。満たされようと積極的になることだって、できる。
 
……が、『愛うつつ』に登場する新田純には、(あくまで作中においてだが)味方がひとりもいない。彼は、恋愛対象の女性にのみ性的感情を抱かない人である。逆にいうと、恋愛対象にない女性には勃起も射精もする。セックスで自信の回復や維持をはかるような男性である。彼の恋人からすれば、「なぜ私に性欲が向かないの? 私は女として見られていないの?」と疑問になるのも、分からなくはない。彼自身さえその事実を呪っている。

『愛うつつ』は、描かれていること以外についてここで軽々しく推測したり断定したりするのは避けたい。けれど、語り合うのは大歓迎だ。こういった話題の好きなかたがいたら、ぜひ五反田道場であいましょう(受け手をしています)!

キュレーター紹介

五反田道場の縄受け手。猥談バーの民。なんでもありなフェチフェスのBlogでライターをしています。

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