瘋癲ノ喜多サン

世の安い町

子どものころの記憶がふとよみがえると、そこには世の安い町があった。
昭和のまっただ中、高度成長期の活気の陰にひっそりと存在していた、どこか取り残されたような町。

雑草の生い茂る原っぱが広がり、
その片隅にはポンプで汲み上げる井戸があった。
大きな蛇口の先には木綿の袋がかけられていて、
石灰臭さの混じった冷たい水を、ごくごくと飲んだ。
のどに違和感を与えるその味は、
不思議と身体を喜ばせた。
清潔でもなければ、衛生的でもない。
でも、あの水には確かに時代の味があった。

こまごました抜け道を縫うように走り回り、
日が傾くころには袋小路の奥に吸い込まれていった。
畑でもなく、田んぼでもなく、駐車場でもない。
誰かに忘れられたまま、ただぽっかりと空いた空き地。
そこは、子どもたちの秘密基地だった。
どこの誰の土地か知らない。
だけど、確かにあの頃、あの空き地はクソガキの場所だった。

舗装されていない道路に蛙を叩きつけて、失神させては笑った。
今なら怒られるようなことも、
あの町では誰も咎めなかった。
それは残酷だったけれど、純粋でもあった。

あの町には、ひねくれ者や、たわけ者、かわり者、すね者、
そして時には、やくざ者までもが生きていた。
誰にも気づかれず、どこかの片隅で、
ひっそりと、それでも確かに呼吸をしていた。

艶やかで、危なっかしくて、
どこかエロチックな香りすら漂っていた町。
きらびやかな未来を夢見ていた時代の裏側で、
そんな世の安い町が、
確かに、そこに、あった。

 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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