私と初めての喜多緊縛との出会い
自己紹介と初めて喜多征一先生緊縛を受けた時の思い出を書きたいと思います。
希和子(KIWAKO)と言います。
元々は別の名前で活動していましたが、希和子という名前で活動しています。
この希和子は漢字まで当てて読んで字の如く願いが込められています。
未婚ですが、時々パートナーがいます。
そんな私とポルノの関わりはとても長く、常に人生と共にありました。様々に分岐していく中の一種としてSMや緊縛の存在認識していました。
その世界にある“官能を見たい”と思いながら成人するのを心待ちにしているような子どもだったのです。
成人してからは、色々なセックスや緊縛、SMに携わる機会を得ましたが、子どもの頃に憧れた衝動を超えることはなく、正直にいうと現実に少し落胆して生きてきました。
普段は昼職をしています。人と関わる仕事で慣れない土地で仕事が趣味になるような日々を過ごす中で、職場と家以外に自分の世界を持っていたいと思ったのが始まりです。
しかし初めての見学/連絡のDMをするまでには、実際には半年以上の時間がかかりました。どうしても緊縛はクローズされた情報の中で代表者となる”男性“と直接連絡を取る必要があり、またその情報に従って為人も分からない人の案内で、環境の現地に伺わないといけません。緊縛という面から万が一にトラブルが起こった時に警察や家族、友人に頼りにくいと言った背景もあります。
その一般的なハードルの高さの中で、喜多道場はしっかりしたHPと窓口が女性で安心しました。
6月の某日、名古屋栄の5階以上の建物の一室、ドアを開けて靴を脱いだ時の緊張感は今でも覚えています。
少人数でのレッスンの途中で、そっとお邪魔した道場は、6畳半程度の綺麗な畳み張りの純和室で、お香の匂いがしていました。漆の塗られた太い梁が2本、天井に渡っているのも圧巻でした。私は見学のみでしたが4、5名以上和気藹々としており、厳しいながらもその緊張感や真剣な様子に一つ一つの教えが大事されている縛りなのだと感じました。
喜多征一先生の初対面の印象は和室によく合う掘り深く、甘さのないイケメンの中年男性でした。だからこそ相貌を崩して楽しそうに話されていると、その雰囲気の変わりように驚きました。その一挙一動から生徒さんが喜多征一先生を信頼する意味がわかる気がしました。
実際にセラピーを受ける時に見ることが出来る、緊張を溶かす甘く優しく紳士的な態度や、指導者のような導きや時々悪戯な悪い顔を私が知るのは、まだまだ先のことです。
実は見学をした初日にデモストレーションとして喜多征一先生に縛って頂きました。
これが喜多征一先生に縛って頂いた正真正銘の初めての緊縛です。
実は初めて喜多征一先生の緊縛はよく覚えていません。大規模な台風の暴風域に外に出た時の様な、大きなうねりにもみくちゃにされた爽快感と童心に帰った開放感だけが残っています。
とは言え後ろから壱縄をかけられて、強いのに痛くない縄に驚きました。抱きしめ等れてスイッチが落とされるという経験を初めてしました。
初めてのお邪魔した場所で、生徒さんもいらっしゃったので、綺麗に受けたいと思っていたのですが、自分が乱れてひっきりなしに声が出ていたのも覚えています。
的確に反応してしまう責め方、身体の箇所を繰り返えされて、快感に慣れていない私は泣きそうになったのを覚えています。
止めて欲しいのに止めて欲しくないという初めて自分の限界を超えた快感を体験しました。逝った後も責めが止まらないのです。
それがセックスと緊縛が重なった瞬間だと思います。私が求めるセックスを与えられたような気がしたのです。
服を着て受けた緊縛でしたが、大いに責めて頂きました。終わった後の環境を整えてもらい肌触りの良いタオルケットを掛けてもらい、ふわふわ・ぼんやりと転がっているのが気持ち良かったのと、喜多征一先生がとても優しかったのを覚えています。幸せな時間でした。
そこから時々、受け手として喜多緊縛に関わるようになりましたが、その中で喜多征一先生の緊縛への情熱や理論がSMの枠を超えて“女性”と“性愛”へとシフトされた物であったことは、目から鱗でしたが、SMの矛盾、エゴ、全て一緒のプレイ内容等、日本SM概念自体に限界を感じていた私にとっては世界がクリアになった瞬間でもありました。
喜多征一先生の理論は縄目と同様に美しいのです。
また喜多征一先生の目を通して見る私自身にも大きな学びがあります。案外に人は、自分のことが最もわからないのだと思います。自分の皮を何層にも壊わして壊して、初めて自分の奥深くに沈む本音に触れることが出来るのだと分かります。そんな経験をしています。
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