瘋癲ノ喜多サン
一日咲きの花
一日咲きの花、というものがある。
初々しいあの日に植えたと思ったら、
翌日にはもう、しぼみはじめている。
どれだけ目を凝らしても、
二度と同じ姿では咲かない。
人の情熱も、どこかそれに似ている。
気がつけば、あたり一面に咲いている花もある。
いつでもそこにあって、枯れる気配もない。
それは、安心できる。
けれど、その安心は、ときに退屈と紙一重だ。
まるで、長年連れ添った夫のように。
一方で、一日咲きの花のようなものもある。
激しく咲いて、あっという間に消える。
もう二度と戻らないとわかっているからこそ、
その一瞬は、どこか頑なで、危うい。
そういう人に、心を持っていかれた経験はないだろうか。
安定か、刹那か。
どちらが正しい、という話ではない。
むしろ人生は、そのどちらも行き来しながら、
ときに立ち止まって、
咲かない花を見つめている時間さえ含んでいる。
一日たりとも咲かない花。
何も起こらない日々。
報われる気配のない時間。
それでも、目をそらさずに見つめていると、
そこには不思議な静けさがある。
咲かないという事実そのものが、
いつしか、かけがえのない風景になる。
華やかさも、退屈も、空白も。
どれも欠けてはならないものだと気づいたとき、
人生は少しだけ、味わい深くなる。
一日咲きの花を愛でるように。
そして、ときには
咲かない花を見つめるように。
それもまた、悪くない人生だと思う。
キュレーター紹介
コメント
この記事に対するコメントはまだありません




会員登録をすると
コメントを投稿する事ができます
ログインする 会員登録