女性の未知を縛ると言うこと
喜多征一先生の緊縛と一般的な緊縛の大きな違いは何かと考えた時に、それは“縛る対象”なのだと思います。
“緊縛が好き”とはっきりと言う女性は何処かで受け手として活動している方が多いと思います。また複数のSMや緊縛交流の場を持ち、緊縛について知識やかなり正確なイメージがあり、受け慣れていると思われます。多くは“縄の痕”を魅力も最初から知っている人のでしょう。
対して喜多征一先生が関わる緊縛モデル、受け手、セラピーを受ける方は、全く今まで緊縛を受けたことのない女性が多く、そのような女性に対して喜多征一先生は緊縛を施しています。
受け方を知らない女性はシビアです。そしていわゆるAVに影響を受けた強い偏見があるのだと思います。
そんな初体験となる緊縛から女性の為のエロティックさ、気持ちいい、楽しいという感覚へ繋げること、そしてまた受けたいと思わせるのが喜多征一先生の緊縛なのです。
喜多征一先生の緊縛の沼にハマった女性は徐々に奥深い世界観や快感の虜になります。
その中で、刹那的な緊縛の美しさに触れて切ない思いも、自分自身の外壁や上限を壊すという苦しい思いもすることはあるでしょうが、それだけ大きく得る物も変わる女性自身の人生もあります。
喜多征一先生の緊縛と、そこに関わるモデルさんや女性の方々を見ていると、受ける側が“緊縛”の可能性やそこに求めるものを自ら限定的に設定してしまうのは本当に勿体ないと思うのです。
縛り手は受け手が求める物を正確に提供出来たとしても想定を超える感動を女性に与えることはできません。
また自分が求める物が自身でも分からない女性達は、その縛り手にとって存在しない物となります。
2026.4.14のレッスンの中でも少し話をされていましたが、男性や縛り手は喜多征一先生の講話の内容を参考に自身の生活やテクニックに落とし込もうとすることはあっても、一般男性として、縛り手としては「分かる」「共感できる」という聞き方をしてしまっては、肝心の内容の本質を見失う可能性があります。
喜多征一先生が行っていることは、先生の口調以上に巨大で偉大なことなのだと思っています。
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