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緊縛徒然 その6 続々「緊縛パートナーのススメ」

↑画像は、佐々木カネヨ(お葉)、日本初の緊縛モデル(1916年)、藤島武二画。伊藤晴雨、竹久夢二の愛人だった。

 

 ひとつ前提条件としては、ノーマル・セックスをある程度経験しておきたいものです。夫婦、恋人、セフレ、娼婦男娼でも構いません。女の肉体と心理がどれだけ嫋やかで華奢でしたたかで優しいか、男がどれだけ乱暴で気が弱くて勘違いをして虚勢を張るか、こうしたことを体験しておくのは緊縛パートナーの心と体を知るにあたって必要なことです。もちろん普通に結婚する、恋人をつくる、セフレを持つということで良いのですが、ノーマル・セックスで一時的に紛れても、ケがある場合は秘められた欲望がまた必ず現れてきます。

 

 人それぞれの人生がありますが、夫や妻子、恋人がいるのにどうしてもSMから離れられないというのは悩ましいですね。もしSとMで結婚できたとしたら羨ましいような気もしますが、そうすると往々にしてSMに目が眩んで、お互いの性格や価値観などの相違を軽く見てしまい、その後の生活の中で互いの溝が深まってしまうことがあったりします。それにSM的なセックスが日常となると、感動が薄れたり、過剰に刺激を求めないと満足できなくなってしまうかも知れません。

 

 私たちにはどうしてもSMが必要なのですが、これは一般常識からすれば、変態性欲であり、倒錯した性であり、背徳の行為です。最近緊縛に興味を持ちました~とか、アート緊縛をやってみたい~とか言うレベルなら、そのうち他に興味が移って忘れてしまうこともあるでしょうし、かえってその方が幸せかもしれません。でも、自分の中にあるケに向き合ってしまうと、もう逃れることはできず悩み続けることになります。変態であることを疎ましく思う一方で、この上ない甘美さと陶酔を脳が覚えてしまうからです。

 

 私たちは自分の中で、混じり合ってはいけない二つの人生を生きなければなりません。日常生活と非日常的なSM人生。この二つは決して対等ではなく日常が優先します。日常がしっかり確立していないとSM人生も壊れてしまうからです。日常をしっかりということは、日常の様々な善き人間関係、愛する配偶者やパートナー、恋人、友人、仕事仲間の皆さんを裏切らないということです。中には夫や妻に公認という人もいますけれども、だいたいは絶対秘密ですし、露見した場合は何とか取り繕いましょう。普段から皆さんに迷惑をかけたり悲しませたりしないよう、守秘には細心の注意を払うべきです。

 

 日常とSMの間でいつも悩ましい、象徴的なものとして、縄痕があります。縄痕はSにとってもMにとってもこの上なく愛おしいものです。Mにしてみると、先ほどまで肌に食い込むように自分を拘束し、逝かせてくれた縄の記憶をなぞるように触れていたいし、それが消えていくのは哀しいものです。またSにとっては、愛おしみつつも厳しく掛けた縄の痕が、自分のしるしのように肌に刻まれているのを見るのは嬉しいことです。しかし二人はそれぞれに日常に帰らねばなりません。縄痕が誰かの目に触れてはいけないのです。

 

 縄痕は一瞬の、儚いSM愛のしるしなのかも知れません。

 次回はSM愛とセックスについてお話します。(つづく)

キュレーター紹介

SMという言葉は好きではないが、この界隈には長く住んでいます。 「ドク」は医者ではなくPhDのことで、20年以上前から界隈ではそう呼ばれてきました。緊縛の刷り込みは幼少の頃、喜多玲子の挿絵に心をときめかせたことにあります。界隈から一生自由になれませんが、真のエクスタシーはその中にあることも分かっています。パートナーとはそれぞれ長いです。そして今は、皆さんと共に喜多道場でエロース(愛)の芸術を追求していきます。

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