その他

無我になる

「喜多先生の逝かせ縄って、瞑想みたいな感じですか?」
と訊かれることがあります

私の感覚を言語化してみると、最終的に行き着く
「没入して無我になる状態」
は同じかもしれません

ただし、瞑想は
「呼吸に意識を集中する」など導入の所作があり、
没入するまである程度時間はかかります

しかし、喜多先生の逝かせ縄は、
慣れると一縄が肌に当たるだけで無我になります

でも、以前の、まだ縛られ慣れていない頃は、
喜多先生の縄の感触に意識を向けて
「気持ちよくなろう」としていました

今にして思うとそれは
「頭で考えている状態」

気持ちよかったのですが、
表面的な「浅い快楽」でした

現在、喜多先生に縛られる時は、
ただただ喜多先生の醸し出す空気に馴染み、
自分という存在が溶けて縄と一つになる感覚

頭では何も考えていません

これは、私にとってはオーガズムの時の、
「パートナーと溶けて馴染んで境目がなくなる」感覚と
ほぼ同じ

そして高い山は裾野が広いように、
喜多先生の縛りは余韻が長く、
快楽は1週間ほど続きます

その間は現実と非現実の境目を
意識がフワフワと漂っていますが、
その間はどうもこれまで日常生活で酷使し
抑圧された脳が修復されているようで、
しばらくすると、
まるで頭の中の澱がなくなったかのように、
意識がクリアになっていきます

世間一般の緊縛のイメージは、
女性を拘束して辱めるといった
縛り手の欲情を目的とした「ポルノ的緊縛」ですが

喜多先生の逝かせ縄は、
受け手本位の多幸感と快楽に満ちた緊縛

こういう世界があることを
多くの方に知っていただけるとうれしいです


画像は
2023.6.18.Live in Nagoya

Shibari art by Seiichi Kita
@seiichi_kita
@38kita38 

Photo
@nipperken1122

キュレーター紹介

表向きは堅い仕事に従事し貞淑な妻を演じつつ、美と精神性に惹かれ緊縛の世界へ。魂に従い真実を生き、婆須蜜多女が説いた“抱擁による悟りへの道”に憧れる、知命を超えた喜多道場縛り手・受け手・モデル。

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