瘋癲ノ喜多サン
1+1=2
1+1は、ただの2じゃないことにしてみた。
たとえば、1と1が重なったとき。
それは白と白がぶつかって、まぶしすぎて透明になるかもしれない。
あるいは、青と赤が絡み合って、紫へと交尾をする瞬間かもしれない。
そのときの色は、計算ではなく、感情でしか見えない。
1の長さと1の長さ。
同じはずなのに、どちらかが長く見えることがある。
人の時間もそうだ。
楽しい1分と、退屈な1分は、まるで違う長さをしている。
数字は正確でも、心はいつも不正確だ。
けれどその“不正確さ”こそが、生きるということなのだと思う。
そして、1はまっすぐ進むだけじゃない。
どこかで放物線を描く。
跳ね、弧をえがき、やがてまた落ちてゆく。
人生の軌跡もそうだ。
上へと向かうその喜びの瞬間も、落ちる途中の身の毛がよだつ瞬間も、
同じ1だ。
まぁまぁ屁理屈をこねても仕方がないが
白黒より、彩りを。
完璧な答えより、不完全で美しいものを
今更ながら
1+1=2に
いちゃもんをつけてみました。
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