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緊縛シロウト理性解放実験記 [ 3 ]

極端な話、背もたれのある椅子があっても、背を預けることはない。殊にプライベート以外では、律することこそ最良として生きてきたから。但し、人からはそう言われぬよう、そう見られぬよう、細心の注意を払ってきた。煩わしい生き方と思う。ただ、そうしないではいられなかった。

だから、縄の前で、私は惑った。目を開けてしかと見るべきか、目を閉じで委ねるべきか。きっと、どちらでもいい。ただ、私は後者である方がいい。目を開け、ものを見れば、必ず何かを考えるから。起きている事象すべてを言葉で拾いあげてしまうから。

たかが布一枚。それでも、目隠しという行為は、目は閉じたままでいいのだと、私にとっては諭してくれるかのようであった。考えるより、感じる方へと感覚を傾ける。聴覚と触覚が踊り出す。「縄の肌」とは一体どんなであるか、初めて感じられたようにも思う。縄と畳が打ち鳴らす鈍い音と振動が心地よかった。

吊られることも、この日が初めてであった。床に放たれた時の全身が鉛になったような怠さは、長時間泳いだ後水から出た時に感じる重さによく似ていた。その後のもうひと縛りで、縄に抱かれて眠りに落ちた。人前で無防備にならぬよう努めることが癖づいている私にとっては、快挙と言える。

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