「緊縛いろは」受けました!(続)
理想の受け手(縛り手)であるために、どの様なことに気をつけていくべきなのでしょうか。
講話を受けての私の感想になります。
実際の内容と少し脱線していますので、正確な内容は足をお運びいただいて直接、先生から聞いていただきたいと思っています。
理想の受け手(縛り手)であるために
緊縛師と呼ばれるプロの方々を例外であると前提していますが、受け手からの依頼であったとしても相手を知らずに個人で縛ること簡単に申し出、承諾されることには疑問があります。
リスク管理の上で、お互いの心身の状態、縛り手の慢性的な腰痛なども踏まえて、関節の可動、プレイとしての許容範囲など、また事故が起きた時の想定される対応方法など、個人個人によって大きく変わります。
縄会など通じて価値観、緊縛に対する考え方や知識をお互い持っていること、相手の為人、体格、健康状態をある程度知っていること、リスクやプレイ内容が共有されている事が必要となります。
また、いろはを通じて最終的に私が行き着いた結論は、緊縛は何かを得るための“手段”には向かないということです。
緊縛自体が奥が深く習得するまでに多くの時間、金銭的負担、身体的・精神的鍛錬を伴うものだと思います。
幾重の経験や鍛錬を積んで、緊縛を習得した方が結構、その技術を提供していくようになるのだと思います。
目的があることは技術の習得、向上にはとても有用だと思いますが、緊縛そのものは技術としても簡単なものではなく、ある程度の形になるにも多くの労力を要し、一度「出来た」と感じたとしても、やる度に次の課題が出てくるもの、またゴールがあるわけでもなく、技術習得の近道があるわけでもありません。そして改善や修正を加えながら常に進化し続けていくものであるとも思います。
あるレベルになれば、場数をこなすことが大切な段階がくるのだと思いますが、それは卑猥さやバラエティにとんだプレイのための緊縛とは異なるものだと思います。
喜多道場でも、緊縛の奥深さを「難しいけれど、それが楽しい」と言われ学ぶこと、探究していくことを目的にして望まれている生徒さんの縄は丁寧で美しく、また気持ちが良い場合が多い様な気がします。
実際にプロアマ、大会等がない業界で単に”縛る“と言ったワードだけで相手の技術を図ることは難しいです。
受け手自身が何を求めるかにもよりますが、これから緊縛をやってみようかと思われている方には、ぜひ真剣に取り組んでいる場があること、真剣に緊縛と快楽を考えて来られた先生がおり、その先生に真剣に習われている生徒さんがいることを知っていて欲しいと思います。
また緊縛の技術だけではなく、縛り手の礼儀や姿勢、縄以外の態度や接し方などから感じる印象で、受ける縄の気持ちよさがプラスアルファされるそうです。
縛る方々においては、その当たりも意識されてみられると良いかもしれません。
とても楽しい講話でした。
またの機会も受けたいと思います。
お読み頂きありがとうございました!
講話の中にはまだ私には難しく、消化できていない部分もあります。
講話内容や緊縛教室に参加した際の先生の話を踏まえながら、ゆっくり自分の中で消化させて、受け手のあり方や緊縛についてを書いてみたいと思います。
その際はどうぞよろしくお願いします!
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