瘋癲ノ喜多サン

2023年謹賀新年

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いたします。

 

昨年10月に名古屋道場を12月には五反田道場を移転しまして、

心機一転新道場にて新年を迎えることができました。

引っ越しは結構大変でして名古屋に関しましては、

法人登記変更など書類仕事や荷物や不用品も

たくさんあり精神的にも肉体的にもなかなかの修行でした。



 

そうなのです私の場合、困難に直面して

息をするのも面倒くさいと思うような時には

常にこれは修行だと思うのです。

比叡山を不眠不臥で駆け巡る修行僧のように

その困難の先にある俗物からの解放、

何事にも動じることのない揺るぎない精神が

自分に備わることを信じて、

困難を受け入れ他者への思いやりを忘れずに

それらを紐解いて行くのです。

やっと少し紐解けてきたかと思うと

次なる困難が必ずやってきます、

まさに修行なのです。



私の場合困難を受け入れることはできるのですが、

その解決方法としてやや攻撃的になるところがあります。

まだまだ修行の足りませんね

人にはいろいろな立場や思惑があります

それを正論のみで片付けてはいけません

困難を受け入れるように、

その人の立場や思惑ときにはズルさすらも受け入れなくてはいけないときもあります。

しかし私の場合は自分尺度での正義感やルールで人を評するところが多々あります。

それらの許容範囲をもっともっと広くしていかなければいけません

なので次なる困難は生まれ修行が続くのです。



修行は生涯続くことでしょう

苦しくもあり逃げ出したくなるときもあります。

しかしどこかで修行を楽しんでいるところあるのです。

それは全身全霊で一時間程かけて

受け手の精神と肉体と性を解放させるために縛った緊縛を

10分ほどで直ぐに解く行為にも似ています。



出来上がりのプロセスに自分というものは必要ありません

受け手である相手の心の動き、感情の昂り、

広がる快感を、つぶさに観察し最適な縛りを施し、

受け手を日常から解放し多幸感を与えるのです。

そこに生まれるのが私の快楽である

征服感と達成感なのです。

そしてまたまるで違う性格や感性や性感帯を備えている人を縛ります。

これの繰り返しが私の緊縛なのです。



人生においては

困難を征服することにより達成感が身体中の血を高揚させます。

するとまた次なるまったく異なる困難がやってきます、

この繰り返しが私の人生なのです。

自我を捨てて相手のすべてを受け入れられようになる

これが私の緊縛の命題であり、

人生における終わりのない修行なのでしょう。

 

本年もたくさんの人を縛りより多くの人を受け入れられるよう

修行させてください。

よろしくお願いいたします。

 

喜多征一

*写真:けんさん*

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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