「緊縛いろは」を受けました!
2025.5.4緊縛いろはに参加させていただきました。
緊縛いろは(以下、いろは)に参加されていた方は立場、歴も様々な方々でした。
講話の内容は緊縛の事故の具体事例や治療や経過、また対処応急処置、から緊縛の歴史、現在の喜多道場の中でどのように教えられているか、また縛り手と受け手の心得まで、全ての参加者にとって学びの多いものでした。
神経の事故は、即効性のある薬や治療があるわけではなく、治癒に時間がかかり、また治療の進み具合が分かりにくいものです。
身体の不調に長く付き合わざる得ず、また心にも大きな傷を受けます。
受け手としても避けられるべきリスクは避ける努力が必要になります。
実は私は課題観を持ってこの日受講しており、大変学びの多い時間となりました。
私の受け手の立場からの感想とその内容について触れさせて頂こうと思います。
緊縛に触れたことのある方で、受け手さん(縛り手さん)にとってのパートナーの必須条件はなんでしょうか。
“緊縛において安全が1番”は、言うは容易いと思いますが、安全とは人のことなのか、技術のことなのか、またそれをどこで判断すれば良いのか、またその判断力を養うためにはどうすれば良いのか。
事故が起こらないことを縛り手に任せて、またそれを前提に進み過ぎているあまり、意外にも受け手として具体的に考えたことのない部分でした。
1.緊縛を“選ぶ”
常々、先生の言われる緊縛とポルノ嗜好の差別化ですが、近代緊縛ブームまでの緊縛の発展してきた経緯を考えると、それがとても難しいということがよく分かります。
緊縛が幾度もその目的や動機を変えながら変化してきた中で、見せる緊縛から、より実用的に女性の為の物として分岐した形が喜多征一先生の緊縛になります。
縛り手の身体や雰囲気も道具として正しく使うので、所作や縛り目が美しく見えますが、その実態は深く女性の内面へアプローチしていくこと、緊縛という手段を用い、女性がより快感を受け取りやすくすることが目的となります。
自分が受けたい縄を選択する際には、その縄が、どのような源流やスタイルを持つか知ることも大切なのではないでしょうか。
多くは説明されていない部分であり、体験する、飛び込む前に、自分で充分に聞いたり、見学したり、調べてみることが必要です。
2.緊縛を”学ぶ”
次に個人で緊縛を受ける場合はどうでしょうか。
個人で受ける緊縛においては、技術はもちろんのこと、為人も重要となります。
実際の事故事例にも講話の中でも触れられ、技術の提供に慎重であること、また謙虚であることが、縛り手自身がリスクを減らし、自らを守ることに繋がることが話されました。
喜多道場では、生徒さんが未熟な技術で教室外で縛ることを推奨していません。
喜多道場では、少人数性や個人へのレッスンと、先生から充分な指導を受けられる環境で学ぶことが出来ます。
特に喜多征一先生の教室では手順を教わりながら同時に注意点やコツなど学ぶことができ効率よく学び進めることができます。
個の理解度に合わせたレッスンの内容が展開されており、注意するところ、目指すべき形や避けたい箇所、効かせたい目的が確率しているので、
どんな緊縛を習得出来るか、習う時にとてもわかりやすいと思います。
また先生は生徒をよく見ています。
生徒さんの性格や緊縛に向き合う姿勢、手ぐせや習得度合いに合わせて、指導方法などを細かく調整しています。
指導は緊縛の形や身体の使い方を“正す”ことですが、これにより大きく縛りの質が変わったり、今までつまづいていた部分が解消されたり、生徒さん自身が気づいていない課題の修正や改善に繋がっていきます。
緊縛においては、先生の様な見る力と共に、多くの経験からくる状況の判断の重要性も大きく、浅い経験や理屈の薄い技術では判断や応用は絶対に出来ません。
だからこそ形や基礎があることや、それがどのようなものなのか説明されている(生徒さんが理解している)ことがとても重要なのだと思います。
そして緊縛において受け手、縛り手双方の大切なことは、自分の判断を過信しないことだと思います。
縛り手にとって、しっかりとした緊縛が形としてあること、それを愚直に学び、習得しようとすることは自分を守ることに繋がると思います。
また受け手は先生が生徒さんに何をどのように教えているか見ることで、その生徒さんの技術の習得度合いや緊縛に対する姿勢を図るバロメーターなります。
では理想の受け手(縛り手)であるために、どの様なことに気をつけていくべきなのでしょうか。
学びが多く長くなってしまいましたので、
改めて記事に出来ればと思います。
宜しければ引き続きお読みいただければ嬉しいです。よろしくお願いします。
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