瘋癲ノ喜多サン
人を縛って生きる
子どもたちが成人したら、やっとおれも廃人になれる
そんな冗談とも本音ともつかない言葉をよく言っていた。
しかし子どもたちは立派に成人したが、
廃人になるどころか肌艶もよく、人を縛って生きている。
責任などクソ喰らえと若い頃はイキって生きていたけれど、
まんまと社会にコントロールされて
父であり、働き手であり、誰かの期待に応える役を続けてきて、
頭がおかしくなったのか、人を縛って生きている
そしてこれはどうだろうか、
恋が生まれるには、ほんの少しの希望があればいい。
その希望は、二、三日で消えてしまうかもしれない。
けれど、恋が生まれたという事実までは消せない。
人はうまくいく確率を計算して恋に落ちるわけではない。
むしろ、むこう見ずで、少し無鉄砲で、
不幸の中で育った想像力を燃やす方がいい。
希望は小さくてもいい。
いや、小さいからこそ、かえって燃え上がるのかもしれない。
映画みたいだなぁ
希望はすぐ消える。
既読がつかないとか、予定が合わないとか、ほんの些細なことで。
大人になると、傷つかない方法ばかり覚えてしまう。
だから恋に慎重になる。
それでも、ほんの少しの可能性に賭けたくなる瞬間があるだろ。
そんなに毛嫌いしないで。
劇的な未来を約束しろとは言わない。
永遠なんて言葉もいらない。
ただ、いちど珈琲でもご一緒しませんか。
湯気の向こうに、二、三日もつかどうかわからない小さな希望を置いてみる。
もしそれが消えたとしても、
恋が生まれかけた時間があったことだけは、きっと消えないのだから。
などとロマンチックな老人もまんざらではない。
でも死ぬまで人を縛って生きている。
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