瘋癲ノ喜多サン

ないものねだり

慎重で、粘着質なほどに冷静な人間と、
軽率で、飽きっぽいほどに激しい人間。

さて、どちらがおもしろそうか。
どちらが家庭的か。
どちらに愛されたいか。

こうして並べてみると、
人はつい、答えを決めたくなる。

けれど実際には、
そんなふうに単純には割り切れない。

慎重な人間は、簡単には壊れない。
同じ場所にとどまり、関係を守ろうとする。
ただ、その粘りは、ときに重さになる。
一方で、激しい人間は、

一瞬で場の空気を変える。
強く惹きつけ、強く燃やす。
けれど、その火は長くはもたない。

どちらも魅力であり、
どちらも欠点だ。

問題は、どちらが“正しいか”ではなく、
どちらを引き受けられるかなのかもしれない。

おもしろさを選べば、安定は遠のく。
安心を選べば、刺激は薄れる。

愛されたいと願うとき、
人は往々にして、
自分に足りないものを持つ相手を求める。

そして、いざ関係が始まると、
今度はその違いに疲れてしまう。

結局のところ、
人は相手を選んでいるようでいて、
自分の生き方を選んでいる。

もし別れるとしたら、どちらか。

その問いの中には、
相手への評価だけではなく、
自分はどこまで耐えられるのか
という、少しだけ残酷な現実が隠れている。

さて、どちらを選ぶか。

あるいは、どちらも選ばないのか。

その答えは、
誰かに教えてもらうものではなく、
日々の中で、じわじわと決まっていくものなのだと思う。

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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